ドラマやCMのロケにも使われるぐらい町並みが美しく下町と都会を同時に味わえる魅力のある幕張をご紹介!

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幕張の歴史

ドラマやCMのロケにも使われるぐらい町並みが美しく下町と都会を同時に味わえる魅力のある幕張をご紹介!

近世までは馬加(まくはり:旧かな遣い)と表記し、まくわりと読んだ。現在のような幕張という漢字を当てるようになったのは近代以降である。室町時代に下総国守護千葉満胤の子・康胤が馬加城主となり馬加氏と名乗る。1455年、千葉氏で内紛が発生し、反主流派の盟主となった康胤は甥である千葉胤直親子を滅ぼして当主の座を奪い、千葉康胤と名乗る。以後佐倉に移った康胤の子孫が千葉氏の当主の地位を継いだ。

大正期に編纂された「千葉郡幕張町誌」(家鴨文庫所蔵)によれば、中世では須賀(または素加)すがと読ばれていた。子守神社の旧名も素加天王社といい、大須賀山、須賀原などの地名も見える。

江戸時代には江戸町奉行の与力給地が置かれ、その関係で青木昆陽がサツマイモの試作を行った場所として有名である。京成幕張駅の近くには昆陽神社や甘藷試作地記念碑がある。また、京成とJR線をくぐるトンネルは昆陽隧道と命名されている。また、江戸後期の大相撲で活躍した荒馬大五郎(宮城野馬五郎、二代目宮城野)の出身地であり、その墓が大須賀山にある。

明治時代になると現在のJRおよび京成電鉄の幕張駅周辺は東京近郊の海水浴場として賑わった。そのため現在の千葉市内にある駅としては幕張駅は千葉駅に続いて設置され、総武線の中でも最も古い駅の一つになっている。沖合いの埋め立てが始まるまでは幕張駅から数分のところに砂浜があり、その先に東京湾が広がっていた。また、首都圏の需要を支える野菜の産地としても栄え、特に砂丘部分の畑で収穫される幕張人参は味がよいことで高い評価を得ていた。

この先の海浜幕張にあたる部分の埋め立てが始まったのは1960年代中頃からである。この地区は全てが計画都市として設計され、団地や教育施設、公共施設などが計画的に配置された。また災害時の場合を考慮して道路が広く取られている事も特徴である。これとほぼ時を同じくして人参やサツマイモ畑が広がっていた花見川区の総武線沿線でも風景が一変し始めベッドタウン化が始まった。埋め立てられた海浜幕張側では1970年代から住民の入居が始まったものの、予定されていた鉄道の開業が後れ、1986年にようやく蘇我駅−西船橋駅間の京葉線が開業された。その後1989年には東京モーターショーが晴海から幕張メッセに移り、1993年には地域のランドマークとなる幕張プリンスホテル(2006年7月よりアパホテル&リゾート<東京ベイ幕張>)が開業し、一躍新都心への飛躍を果たした。

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